秀ノ山部屋の土俵祭を斎行いたしました。

秀ノ山部屋の土俵祭を斎行いたしました。

 

本日は秀ノ山部屋の土俵祭を斎行いたしました。

相撲と神道は密接にかかわっています。相撲は神事とされ、力士の所作にも五穀豊穣など意味が込められています。

そして土俵祭とは、土俵を清めるための神事です。

元大関 琴奨菊の秀ノ山親方 秀ノ山部屋について

元大関 琴奨菊の秀ノ山親方は、福岡県柳川市出身。

力強い出足で左四つやもろ差しからの重い腰を生かした「がぶり寄り」を持ち味に、平成23年の秋場所後に大関に昇進し、平成28年の初場所では初優勝を果たしました。

幕内在位の場所数は、歴代7位となる92場所、幕内の勝利数は歴代6位の718勝と、実力者として長く土俵を沸かせていました。

引退したあと、佐渡ヶ嶽部屋の部屋付きの親方として指導にあたってきましたが、日本相撲協会の理事会で、秀ノ山親方が独立して、10月19日付けで新たに秀ノ山部屋を設けることが承認されました。
新たな部屋には、序二段の力士4人が佐渡ヶ嶽部屋から移籍します。

現在墨田区東向島4丁目にて建設中で令和6年11月末に完成予定とのことです。

https://hidenoyama.jp/

せっかくなので、相撲の歴史についても紹介できればと思います。

◆日本での相撲の誕生

神話の時代。「古事記」の国譲りの神話において、建御雷神(たけみかづちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)が「力競」を行ったことが最古の記録とされているようです。

また、天の岩戸を引き開けた力自慢の天手力男神(あめのたじからおのみこと)は、怪力な神様であるところから、相撲の神様とされています。

奈良時代には、宮中で年中行事の一つとして相撲節会(すまいのせちえ)という催しが開かれるようになり鎌倉時代になってからも、鎌倉幕府を開いた源頼朝が相撲を好んだことから、奉納相撲を行うようになり、以後、幕府の将軍や武将などに相撲が好まれるようになりました。

江戸時代に入ると、寺社の修繕費などの資金を集めるために「勧進相撲(かんじんずもう)」が盛んに行われるようになりましたが、この勧進相撲の組織が発展、改組しながら、現在の「大相撲」につながっていくのです。

◆土俵は神様の宿る場所

大相撲の土俵入りのとき、力士は拍手を打地ます。土俵には神が宿るとされている為です。

秀ノ山部屋では、10月25日から稽古を始めるそうです。
九州場所の千秋楽、心より応援しております。

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